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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)7571号 判決 1982年2月25日

原告 諏訪昌子

被告 諏訪信雄

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告の請求の趣旨

1  被告は原告に対し、別紙財産目録一、(一)、(二)記載の不動産につき、東京法務局渋谷出張所昭和五一年三月五日受付第八五五七号をもつてなした昭和五〇年一二月一二日相続を原因とする被告に対する所有権移転登記を、同一相続を原因とする原告の持分各三分の一、被告の持分各三分の二の所有権移転登記とする更正登記手続をせよ。

2  被告は原告に対し、金四一〇万三、五八八円、およびこれに対する本訴状送達の日の翌日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第2項につき仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する被告の答弁

主文同旨。

第二当事者双方の主張

一  原告の請求原因

1  原告は被相続人諏訪盛好(昭和五〇年一二月一二日死亡)の妻であり、被告はその長男であるところ、被告は、昭和五一年一月一八日遺産分割の協議が成立したとして、

(1) 別紙財産目録一、(一)、(二)記載の不動産につき東京法務局渋谷出張所昭和五一年三月五日受付第八五五七号をもつて、昭和五〇年一二月一二日相続を原因とする被告に対する所有権移転登記手続を完了し、

(2) 同目録二記載の各預貯金債権、三記載の自動車、四記載の電話加入権合計金一四七万四、七六五円全部を単独で取得し、

(3) 同目録一、(四)記載の建物は被相続人の生前中から作田忠司外五名に賃貸中のところ、その昭和五一年一月一日から昭和五四年七月三一日までの毎月の家賃収入(月額二五万二、〇〇〇円)の全部を取得した。

2  しかしながら、右の遺産分割の協議は、

(1) 被告が、他の血族相続人(長女西野敏子、三女小出智津子)らと共謀のうえ、原告を自分達の義母として処遇し、かつ被相続人と同居していた母屋に今後とも同居させる意思がないのに、あるように装つて原告を欺罔し、原告をしてその旨誤信させ、遺産分割協議書を作成させたうえ、同協議書をたてにとつて原告を右の母屋から追い出しを図つたものであつて、右遺産分割の合意は、被告らの欺罔に基づくものであると同時に、原告の錯誤によるものである。右協議書が成立するやいなや母屋を着のみ着のまま追い出され、荷物を取りに行けばパトカーを呼ばれたりして、取れるだけ取るような仕打を、単に後妻であるという理由のみで、五〇歳を過ぎた女性が受けねばならないような家族関係であつたのならば、原告はとうてい遺産分割協議書の作成などには応じなかつたことは明白である。

したがつて、右の遺産分割の協議は、その重要な要素に錯誤があるから無効である。

そうでないとしても、原告の右錯誤は、被告らの前記欺罔行為に基づくものであるから、原告は、昭和五四年一〇月二四日第一回口頭弁論期日に陳述した同日付準備書面でもつて、詐欺を理由に、右遺産分割協議を取り消す旨の意思表示をする。

(2) かりに、右の詐欺・錯誤がなかつたとしても、前記遺産分割協議書に、原告を母屋または共同住宅に居住させることになつていたにもかかわらず、何らの理由なく原告を母屋から右共同住宅以外の場所に退去させたことは、契約条項に違反した債務不履行であるから、原告は、被告ら共同相続人に対し昭和五二年三月二日付書面(同月一三日までには到達)で右分割協議を解除する旨の意思表示をした。

(3) したがつて、被相続人の遺産分割は未了である。

3  ところで、原告は、相続により、

(1) 別紙財産目録一、(一)、(二)記載の不動産の持分三分の一(被告らの持分三分の二)の所有権を取得し、

(2) 同目録二記載の各預貯金債権、三記載の自動車、四記載の電話加入権の価額の三分の一計金四九万一、五八八円を取得し、

(3) 同目録一、(四)記載の建物の賃料収入合計額の三分の一計金三六一万二、〇〇〇円を取得した。

4  よつて、原告は被告に対し、同目録一、(二)、(三)記載の不動産につき前記更正登記を求め、右原告の取得すべき金員計四一〇万三、五八八円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による金員の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の認否

1  請求原因1、(1)、(2)の事実は認め、同(3)の事実中、主張の家賃収入は月額二五万二、〇〇〇円であることは認め、昭和五一年一月一日から昭和五四年七月三一日までの家賃収入月額一八万九、〇〇〇円を受領したことは認め、その余は否認する。

2  同2の錯誤・詐欺・遺産分割協議解除の事実および主張は争う。ただし相続人と取消の意思表示の点は認める。

3  同3の事実および主張は争う。

4  同4の主張は争う。

理由

一  原告は被相続人諏訪盛好(昭和五〇年一二月一二日死亡)の妻であり、被告はその長男であるところ、共同相続人(他に長女西野敏子、三女小出智津子)間で、別紙財産目録記載の相続財産について、昭和五一年一月一八日遺産分割の協議が成立したことは、当事者間に争いがない。

二  そこで、原告の右遺産分割協議の錯誤による無効、詐欺による取消の主張について判断する。

右争いのない事実に、成立について争いのない甲第一号証、第九ないし第一四号証、第三七ないし第四二号証、第四三号証の一ないし七、乙第一ないし第三号証、郵便官署作成部分につき成立について争いがなく、その余の部分について被告本人尋問の結果により成立の認められる甲第二八、第二九号証、第三四号証の一、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第三〇号証、証人西野宏の証言によつて成立の認められる甲第三二号証、被告本人尋問の結果により成立の認められる甲第二七、第三一、第三三号証、原告本人尋問の結果により成立の認められる甲第三五、第三六号証、および証人矢野雅知、同西野宏の各証言、原・被告各本人尋問の結果(以上のうち後記採用しない部分を除く)に弁論の全趣旨を総合すれば、次の各事実を認めることができる。

1  被相続人諏訪盛好(大正二年一〇月三〇日生)は、先妻芳子との間に、長女敏子(昭和一四年一一月二〇日生)、三女智津子(昭和二一年一月一〇日生)、長男信雄(昭和二三年五月六日生)をもうけたが、右芳子が昭和四四年一二月三一日死亡したことから、昭和四六年六月一八日、原告(大正一一年三月一日生)と再婚するに至り、原告は、被相続人および被告の二人家族に、後妻として迎えられた。

2  原告は、前夫失野義秋との間に長男雅知(昭和二三年五月一日生)をもうけたが、昭和二四年に右前夫が亡くなつたことから、昭和二七年七月から戦前勤めたことのある文部省に復職し、現在までその職員として勤務を継続している。

3  原告は、被相続人と再婚したときには、長男雅知に朝霞に居住家屋を買い与えて、被告らと同居するに至つたもので、再婚後の家計は、主として被相続人の資産(アパート賃料収入など)でまかなわれてきた。

4  ところが、被相続人は、昭和四九年二月一二日肝炎で四〇日ほど入院し、昭和五〇年一一月二九日病状が悪化して再入院し、原・被告が看病にあたつたが、同年一二月一二日肝硬変で死亡するに至つたもので、原告と被相続人との婚姻関係はわずか四年半ほどで終止符をうつことになつた。

5  被相続人は、生前、原告のことなどが気にかかつていたらしく、原告には遺産中のアパート一世帯分を与えるのでそこで生活したらよいなどと、被告ら血族相続人に話していたこともあつて、臨終の際には、被告らは、「お父さんの心配するようなことはしないから」などと言つて、被相続人をなぐさめた。

6  昭和五一年一月一一日納骨後、原・被告ら共同相続人は、遺産分割の話をすることになり、原告には実兄越智位が付添つて、午後八時ころから被告宅で話合いが始まり、途中から原告は長男雅知を呼びよせて付添つてもらい、当日の夜遅くから翌日の午前三時ころまでかかつて協議をした。その結果、原告らが二世帯分のアパートを要求したこともあつて、別紙財産目録一、(一)、(二)の不動産(自宅母屋の敷地と建物)は被告が相続し、同一、(三)、(四)のアパート六世帯分については、原告が二世帯分、被告が二・五世帯分(その敷地の共有持分権をいずれも含む)を相続し、原告が文部省に勤務している間は右二世帯分のアパート賃料収入は被告に贈与するなどを内容とする遺産分割の一応の合意が成立し、その旨の乙第二号証が作成された。

7  そして同月一八日、税理士などに予め頼んで条項を整理しタイプ化したものを基にして、午後一時ころから夕方まで被告宅に共同相続人全員が集まつて、最後のつめの話合いをした。このときは、原告は、兄弟の越智位および越智実ならびに長男雅知に付添つてもらい、協議をした結果、右越智実の要求で条項に若干の手直しをした部分はあるが、基本的には一週間前の前記合意とほぼ同じ内容の協議が成立し、甲第九号証(乙第一号証)の遺産分割協議書が作成されて、原告も異議なく、これに署名押印した。

8  右協議の内容は、原告は、別紙財産目録一(四)記載のアパートのうち二世帯分(三号室と七号室)の所有権およびその敷地共有持分権一二分の四を取得し、被告は、同目録一、(一)、(二)の土地、家屋(母屋)、右アパート二・五世帯分の所有権とその敷地持分権一二分の五のほか、同目録二、三、四記載の財産を取得するというものであつた。

9  右協議書六条には、「諏訪昌子は、第三条共同住宅二室の賃貸料相当額を昭和五十三年三月一日までの分を、その収入すべき時期に諏訪信雄に支払うものとする。この部分の経費については諏訪信雄の負担とする。但し、諏訪昌子が前記の日以後停年退職等の事由で年金生活をする状態となつたときは、その日以後の収支は諏訪昌子に帰属するものとする。」とあり、その一〇条には、「諏訪信雄が婚姻その他の事由により諏訪昌子との同居を希望しない場合は、諏訪昌子は自己所有の共同住宅に転居するものとし、この場合同日以後第六条に定める二室は一室と読み替えるものとする。」となつている。

10  原・被告およびその他の共同相続人は、原告が引続き母屋で被告と同居することを前提として右協議書を作成したものであり、そのことを疑う者はなかつたが、右の第一〇条は、その後の事情変更を予測しての合意であつた。

11  ところが、被告らの手で、右協議書に従つて、原告に帰属したアパート二室分(区分所有権)およびその敷地共有持分権について相続登記をすませたため、その手続費用約一一万円を原告に請求したところ、原告は原告分の権利証を渡してくれない以上払えないとして拒絶したことなどから、原告と被告ら血族相続人との仲が険悪となり、同年三月三〇日には、被告がパトカーを呼ぶ騒わぎにまで発展し、被告はその日原告に対し母屋から退去するように命じたことから、原告は長男雅知方に寄遇することになつた。さらに、同年四月一日に原告が被告方に荷物の引取りに来たときも、同じようなトラブルがあつた。

以上の事実を認めることができ、右認定の趣旨に適合しない前掲各証言および各本人尋問の結果は、前掲各証拠に照し採用することができない。

右認定の各事実、とりわけ、原告の婚姻期間、被相続人への寄与度、同人の遺志、原告の職業などからすれば、前記のような内容による遺産分割も決してことさら原告に酷な取得分となつているとは考えられないこと、被相続人および原告の意思が右分割内容に反映していること、原告が母屋から退去させられるようになつたのは、協議完了後の原・被告間の感情悪化に起因するものであること、原告が母屋から退去させられても、原告所有のアパートの住人を説いて立退いてもらい居住する方法もないわけではなかつたことなどの事実関係に照せば、前記の遺産分割に当たつて被告らに詐欺行為があつたと見ることも、また原告に要素の錯誤があつたと見ることも、ともに困難であるといわざるをえない。したがつて、この点に関する原告の主張は理由がない。

三  次に、債務不履行による遺産分割協議の解除の主張について判断する。

思うに、遺産分割の協議は、通常の契約と異なり、多数の共同相続人が加わつてなされるもので法的安定性が強く求められるものであるから、その協議で他の相続人らに対し債務を負担した相続人がこれを履行しなかつたとしても、債務不履行を理由に右分割協議を解除することはできないと解せられるので(東京高決昭和五二年八月一七日東高民報二八巻八号二一〇頁参照)、右の主張はそれ自体失当であつて、その余の点を判断するまでもなく理由がない(ちなみに前記認定の事実関係に照せば、被告らに債務不履行があつたと断定するにはかなりの無理があるというべきである)。

四  以上の次第で、原告の本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 梶村太市)

別紙 遺産目録<省略>

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